長崎市長射殺事件

こんばんは、ばたすけです。

長崎市長の射殺事件ですが、痛ましい事件ですね。
お亡くなりになった伊藤市長のご冥福をお祈り致します。

ただ、この事件について、もの凄く気になっていることがあります。
それは報道、および報道に出てコメントしている人々の論点がズレていることです。
まるで今回の事件が「言論封殺」のように言われています。
民主主義が否定されたとか、言論の自由を奪う行為だとか、そんなことばかり言っています。
特に、首相の靖国神社参拝反対を声高に主張して、実家と選挙事務所を自称右翼団体構成員に焼き討ちされた加藤紘一氏はここぞとばかりに「暴力によって言論の自由を奪う行為は許せない」と言っています。
マスコミもそれをそのままバンバン流してます。

ですが、背後関係はまだハッキリしていないものの、犯人の供述を信じるなら「個人的な恨み」による犯行ですよね?
政治的意図があった訳ではなく、ましてや伊藤市長の主張が相容れないからと、その口を封じることが目的だった訳でもありません。
ですから、この犯行は今のところ「言論封殺」だとは言えません。

それなのに、何故誰もそのことを指摘しないのでしょう?
事件が衝撃的過ぎて、冷静な判断力を失っているのでしょうか??

私には「誰かがこの事件を「言論封殺」に仕立て上げようとしている」ように思われてなりません。
そのことに誰も気付かず「今回の事件は言論封殺であった」と世間が認識してしまうのはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。
報道を利用した大衆の心理操作も立派な言論封殺の一手段だと思います。

さてさて、これは私の深読みのし過ぎでしょうかね?
衝撃的な事件ではありますが、状況を冷静に見極めることを忘れてはいけないと思います。