価値観というか判断基準というか

おはようございます、ばたすけです。

アメリカ人は意図的にやっており、日本人は無自覚でやっていると思うのですが‥‥
物事を考えるときに、どうして「今現在」の「自分の国」の価値基準で物事を論じるんでしょうかね?

国毎に価値観やその元となる判断基準は異なります。
また、歴史的にその時その時で価値観やその元となる判断基準は異なります。
すべてを「今現在の日本では‥‥」という感覚で論じても仕方が無いでしょう。

あんまり良い例が思い浮かびませんが‥‥
中華航空機が那覇空港で炎上した事件で、事故当日に社長が日本にやってきて、乗客に1万円の見舞金を直接渡したとかなんとか。
ラジオでその話題が出て、リスナーから「人身を危険に晒しておいて、たった1万円の見舞金なんて、人を馬鹿にしているのか」という投稿が紹介されました。
ですが、台湾の人達はそれで喜んでいたようですし、社長が直接手渡すことで謝罪の効果は十分に果たせたように見受けられました。
つまり「今現在の日本人の感覚では冗談ではない」のかもしれませんが「今現在の台湾人の感覚では十分な謝罪だった」ということになります。
その国の人の感覚を慮れば、一概に「馬鹿にしている」とは言えないでしょう。

# まぁ、逆に「日本人の感覚を慮れよ」と思わなくもないですが、外国人はみんな自己中心的で他人の心情を慮るという文化がありませんので、それを要求しても仕方がないです

こういう感覚のズレは、外国ファンドが日本で企業買収に失敗した例でも見受けられますね。
曰く「日本の金融市場独特の文化への理解が低かった」

日本人同士か揉めた場合も「お前はそう考えるかもしれないが、俺はこう考える」ってなるでしょ??
物事を論じるときは「今現在の日本ではこうだ」という感覚を前提に、「しかし、この時代のこの国ではこうだよね」ということも併せて考えないと、議論しても無意味なものにしかならないですよ。