正義って何だろう?

ぼつぼつ明け方ですね。
夜型人間のばたすけです。

最近、よく考えるのが善悪。
清濁併せ呑むというか、そういうものを内在して社会は成立していると頭では解っているものの、私の性質としては白黒はっきりしないものは好きではありません。
まぁ、世間の人々には「考え無し」とか「思慮が足りない」とか言われますが、それでも私は正直に生きようと思っています。
ま、嘘をつくこともありますけどね(笑)

さて、死刑廃止を訴える弁護士が裁判遅延を狙って(本人はそうではないと言っているが)出廷しなかったということが問題になっています。
個人的には「他人の人権を無視する人間の人権を尊重しようとは何事か」と思います。
死刑廃止論者は、自分の身内が被害者と同じ目にあっても「死刑廃止」と言い続けられるのか、それが凄く気になります。

# もしそう言い続けられたとしたら、私はその人の精神構造を疑いますけどね

凶悪犯罪が増えていますが、寛容を旨とする日本の法の精神を逆手に取って「刑務所に入っても数年で出てこられる」と、加害者は図々しさを増しています。
日本はこれまで寛容の文化でやってきましたが、更生の余地が無い者に対しても十羽一絡げで寛容の精神を押し付けようとするのはどうかしていると思います。
「みんな横並びで」というのは日本の悪習ですね。
更生の余地があるから更生のチャンスを与えるのであって、更生する気が無い(まったく反省していない)人間に寛容に接しても無駄だと思います。
裁判員制度とか始まりますが、量刑は被害者(被害者がこの世に存在しない場合はその身内)が決めることにすれば良いと思います。
少し時間を置いて冷静になれば、相手が本当に反省しているかどうかは被害者(やその家族)には見分けることが可能でしょう。
なんといっても当事者ですから、真剣に考えると思いますよ。
その上で、寛容に接するか、厳罰に処すかを決めれば良いと思います。

また、万が一死刑を廃止するとなれば、アメリカのように刑期を数百年とかいくらでも長くできるようにして、減刑されても出てこられないようにするべきですね。
今は恩赦だ減刑だですぐ出てきちゃいますから。
この「刑期数百年」とかが存在する点に関してだけは、アメリカを見習うべきだと思います。

「弁護の余地が無い」なんて事件もあるでしょうけど、弁護士というのは仕事なので一生懸命弁護しますよね。
中には弁護の依頼を拒否する真っ当な人もいるようですが、反対に喜んで弁護を引き受ける方も居るようです。
果たして、そこに正義はあるのでしょうか。
「加害者の起こした事件は凶悪残忍極まりなく、弁護の余地がありません。 死刑が妥当と考えます」
と言う弁護士が居てもおかしくはないと思うのですが、そういうことは起こりえないようです。
みんながみんなそうだとは言いませんが、法律の勉強ばかりしてないで、人間を磨いてみてはどうでしょうか。
心無い人の行いを見ると、良心が痛まないのか(そもそも良心が無いのか?)と疑問に感じます。
きっと、人(弁護士)の心はお金(弁護費用)で買えるんですね。