殺人事件と死刑判決

おはようございます、ばたすけです。

山口の母子殺害事件で最高裁は「無期懲役は不適当」として審理を高裁に差し戻しましたね。
最高裁で死刑判決が出るかと思ったのですが、またやり直しです。
まぁ、無期懲役が不適当となれば、あとは死刑判決しか無い訳で、そういった意味では先延ばしになっただけで結果は死刑なんでしょうけども。
福田被告に反省の色は無いようなので、判決が下されて刑が執行されるるまでの間、死を実感しながらじっくりと反省しなさいとった趣旨なのでしょうか。
反省のない被告に対しては効果のある判決なように感じました。

日本の刑罰は更生目的なので被告に対して寛大なのですが、他人の未来を奪った人間に対して、「まだ将来があるので減刑しよう」なんて考え方はさっさと捨ててしまうべきだと思います。
人権云々、人生のやりなおし云々を理由に加害者を弁護する人がいますが、殺された人の人権はどうなるのか、殺された人間にはやり直しも将来もない、ということを考えれば、殺人に対しては極刑を用いるというのは至極真っ当な判断であると私は思います。
ただまぁ、場合によっては止むに止まれぬ事情というのがあるでしょうから、情状酌量の余地というのはあると思いますけどね。
山口母子殺害に関して言えば、どう考えても「殺すに至っても仕方がないと思えるような止むに止まれぬ事情」があるとは思えず、むしろ快楽殺人(死姦している)ではないかと思われる上に、被告に反省の色がまったくないとくれば、逆に刑をより重くすべきであるとさえ感じます。
(とは言え、死刑以上の刑罰はないので、どちらにしろ死刑な訳ですが)

また、この事件では被告が「未成年だからせいぜい無期懲役で10年せずに刑務所から出られる」などとふざけたことを考えていたようなので、少年法による未成年優遇の害悪が顕著に現れていると言えます。
少年法などという悪法は撤廃するべきですよ。
同様に、責任能力の有無について云々するのも馬鹿げた話なので、これも止めるべきでしょうね。
罪は罪であり、やったことは若かろうが心神喪失状態だろうが変わりはしませんので。
なぜそういう観点で罪を減じるという発想が出てくるのか、私にはさっぱり理解できません。

罪に対して、これまでのように更生を促すのではなく、罰を与えるようにしなければ、犯罪の凶悪化はエスカレートする一方なのではないでしょうか。
特に、法の寛容性を逆手に取って(未成年だから死刑にはならない、一人殺すだけなら死刑にならない、精神病のふりをすれば死刑にならない、等)犯行に及ぶようでは、既に更生目的の刑罰というシステムは破綻しているといえるでしょう。

まぁ、これからは陪審員制度が導入され、一般市民が裁判に参加できるようなので、私は積極的に係わっていきたいと思っています。
「水と安全は無料で手に入る」日本が戻ってくると良いのですが。