どうして常識だと断言できるのか

こんにちは、ばたすけです。

人の考え方などは千差万別で、自分としては「当然のことで常識だ」と思っていることが、万人の間で必ずしも同意してもらえる訳ではないということは日常茶飯事です。
むしろ、真逆のことを言われ、自分の考え方や価値観が少数派であったということが判明するなんてこともあったりします。

なので、「自分としてはこう思うし、自分ならこうする」という言い方であれば納得もできるのですが‥‥

「あなたの考え方はおかしい、普通はこうだ、こうするべきなのに非常識だ」

‥‥とか言い切る人がいるのに辟易とします。
まぁ、世間を知らないとでも言うか、自分の考えや価値観がグローバルスタンダードだと勘違いしているというか‥‥
さぞやお高い知性と教養と社会経験をお持ちなんでしょうなと、感心してしまいます。
もちろん、良い意味で言っているのではありませんよ。

各々の考え方の違いについて意見を交換することは有益な行為であると思いますし、「なるほど、そういう考え方もあるよね」と思うものについては自分の考えを変更することは吝かではありません。
しかし、「それは間違い、おかしい、非常識、普通はこうする、これが常識」と断定する行為はいただけません。
自己の価値観を他人に押し付ける行為は「意見の交換」とは言いいませんし、常識だと断言される段階で眉唾ものです。

価値観の多様性を認めず、一つの物事を絶対解だと主張する人が、本当に世間一般で共感を持たれる考え方を身に着けているのか?

と考えると、それは難しいように思うんですよね。
他人の意見に耳を貸さない訳ですよ??
そういう方がいわゆる「常識的」かというと、まぁそうはならないですよね。
だって、例えば自分が「非常識」なことをやっていたとしても‥‥

当人はそれを常識だと思って疑うことはなく、それ故に自己を顧みて反省することなどは絶対になく、常に他人を非常識だと思うだけ

‥‥なんですから。

へー、そういう考え方もあるんだ、自分の考え方とは違うね

と柔軟に考えられないのは何故なんでしょうか。
まぁ、そういう人とは友人にはなりたくないし、なれないですね。