大臣自殺に見る日本人の悪癖

こんばんは、ばたすけです。

現職閣僚の自殺という滅多に無いことが起こり、これまでナントカ還元水や官製談合で松岡農水大臣に批判的だったメディアも一気にトーンダウンしましたね。
コメンテータやアナウンサー自身が言っていないとしても、市民の声ということで流れているインタビューの内容が「可哀相ですよね」とか「潔いですね」といった同情の声ばかりでは、メディア自身がそういう考えているのだろうとしか思えません。
野党(と言っても社民党だけか?)は「これで追求の手が緩むことはない」と言っていますが、世論が同情の方向に傾けば、あまりしつこく追求すると逆風になってしまうので、サジ加減が難しいでしょうね。

とは言え、税金が無駄に使われたのが事実だとすれば、それは横領としてきちんと処罰してもらいたいものですが、どうにも政府や役人というのはその辺りの意識は皆無ですからね。
国民から預かってるお金に対する意識が甘いというか、なんというか。
納税者としては、当事者の生死に関わらず、問題があれば原因や背後関係を徹底的に洗って責任者は処罰し、再発防止に万全を期して欲しいものですが、自殺者が出てしまうと責任追及も及び腰になり、最終的にはグズグズになって曖昧な結論で終わるだけなように思います。
それでなくても甘々な責任追及の声は同情する世論にかき消されてしまうでしょうし。

今回の事態も含めてですが、結局、日本人は問題があっても「自分達では問題を解決できない国民性」を持っているんじゃないかと思われてなりません。

日本には(武士階級限定ですが)身の潔白を証明するために腹を切るという文化がありました。
これは曲解されて近代に伝わり、責任を取ると証して自決するということがおこなわれるようになりました。
自決すると「潔い」とされ、生前に何かあったとしても「死人に鞭打つようなことはしない」として、不問に付すようになった訳ですね。
結果として、何か問題が起こっても誰かが腹を切って不問に付され、結局問題は解決しないということが繰り返されるようになっただけです。
しかも、市井にも「死んだんだからもうそれくらいで許しておいてやれよ」という空気が蔓延する。
こうして問題は正されることなく延々と繰り返される訳ですね。
トカゲの尻尾切りとは良く言ったものだと思います。

これって「潔い責任の取り方」ではなく「問題を有耶無耶にしているだけなのに解決したような気になっている」だけだと思うんですよね。
インタビューで「可哀相」とか「潔い」とか言ってる人はまさにこのパターンなんじゃないでしょうか。
日本人の悪い癖ですよ。
死者を一方的に貶める必要はありませんが、不正がおこなわれたのならそれを正すことはせにゃいかんでしょう。
放っておいたら同じ事の繰り返しになるだけですよ。

ことの良し悪し以前に感情論で話をするのは、市井の会話レベルなら「人情的」で良いかもしれませんが、国政にそれを持ち込んではいかんでしょう。
死者に対する礼儀は失しないようにしつつも、ことの善悪はきっちりと判断してもらいたいものです。