問題の本質からズレている気がする

こんばんは、ばたすけです。

国務省のメア元日本部長の沖縄に関する問題発言ですが、個人的には沖縄の基地問題の一面を的確に捉えているなと感じています。

ほら、身近にもいませんか?
マンションが建つとなると、日照権が云々と言って反対を声高に叫んでお金をもらおうとする人達が。
ゴミ焼却場ができるとなると、住環境悪化が云々と言って反対を声高に叫んでお金をもらおうとする人達が。

本当に困っている人も当然ながら存在しているんでしょうけども、大抵は「問題の解決」ではなく、大騒ぎしてみんなが物事の本質を見失い、「問題の根本的な解決」ではなく「お金での和解」で終わりになってしまいますよね。
「そういう活動」をしている人達は確実に存在していますし、何かあると速攻でやってきて騒ぎ、釣り上げた和解金を掠め取っていくだけで、問題は一切解決しないのですから、百害あって一利なしです。
本当に困っている人は、こういう活動家の扇動に乗らず、問題の本質的解決を目指すべきでしょう。

ただ、どうにも沖縄にはこういう活動をしている人が多いように感じられてならないです。

地政学的に沖縄に基地を置くことは理に適っていますし、島嶼部防衛を考えると沖縄の基地を無くすことは絶対にできない(統合整理することは可能かもしれませんが)と私は思います。
ただ、日本政府は国防政策に基づく論理的な説得は一切おこなわず、ただ単純に過去の経緯で沖縄に基地が偏在しているかのように「負担を減らすように努力します」とできもしないことを言って、その我慢料としてお金をばら撒くことで問題を有耶無耶にしてきたのではないでしょうか。

まぁ、我が家のすぐ近くにはキャンプ座間と厚木基地がありますが、国防を放棄する訳にいきませんから、航空機の騒音や米軍さんが町を闊歩するのは仕方のないことだと私は思っています。
しかし、騒いでいる人達の主張は(一部かもしれませんが、正直なところ私にはその一部が全部に見える)「飛行機を飛ばすな」「基地を置くな」ですからね。
そういう訳にいかないから、国としては国防政策を充分に説明した上で、周辺住民に理解と協力を求める必要がある訳ですし、周辺住民はそれがどうしても納得いかないのであれば別の土地に移転させてもらうなどの対案を要求するなどして、妥協点を探っていく必要があるように思います。
(基地が後からやってきたのではなく、基地の脇に自分の意思で住んでいる人は納得ずくでやっていることですから対象外でしょうけども)

沖縄の場合、基地は「沖縄に存在している」ことに意味があるんですよね。
なので、「基地は移動させられない」ことを前提に、「ではどうするか?」を論じないといけないのですが‥‥

その場凌ぎでお金をばら撒くと、上述のような活動家がやってきて大騒ぎする訳です。
騒いで事が大きくなり、国が支払うお金が増えれば増えるほど、そういう活動をしている人は儲かる訳ですから、可能な限り盛大に騒ぐでしょう。
沖縄の新聞などを見ても、論理的な話は書かずにヒステリックな反対論を書きたてているだけですし、「こいつらは活動家の一味なのでは?」と思わずにはいられません。

しかし、どんなに騒いでも、問題は解決しないんですよ。
「本当に困っている人」は一緒になって騒いでも問題は解決しないということに気が付かなければならないのですが、状況に呑まれて問題の本質を見失っているのでしょうね。

これらはあくまでも私見ですが、私と同じように傍から状況を見ていれば、「沖縄の基地反対論は「ゆすり」や「たかり」と同じだよなぁ」と感じてしまっても不思議はないのではないでしょうか。

# 私は「また活動家が騒いでるわ」と思うだけですが

件の「問題発言」は、これまでお金でその場を誤魔化してきた政府の沖縄政策や国防政策のツケが、他国人の目にはどう映るのかが示されたもののように感じます。
感情論でヒステリックに騒ぎ立てるのではなく、何が問題で、どうすれば根本的な解決に至るのか、また根本的に解決できないのであれば、どこに妥協点が見出せるのか(もちろん、お金を払って終わりでは駄目ですよ)を冷静になって考える必要があるのではないでしょうか。
「侮辱だ謝れ」と主張するのは良いですが、どうしてこういう発言に至ったのかを考えずに、安直に「差別意識だ」として切って捨てるのはどうかと思うんですけどねぇ。