再生可能エネルギーの話は議論の根本がおかしい

こんばんは、ばたすけです。

物事を賛成か反対かの二元論で語るのは思考停止だと思うのは私だけでしょうか。
原発の話が出ると、原発は必要だと言えば「原発推進派だ」と決め付け、原発は減らした方が良いと言えば「再生可能エネルギー推進だ」と決め付けるというのは、いくらなんでも安直過ぎます。
ま、ソフトバンク孫正義のメガソーラーの話なんてこの最たる例ですよね。

賛成か反対かなんてことは置いておき、風力発電太陽光発電原子力発電の代替となりえるかということを冷静に考えて欲しいのですが‥‥

どう考えても代わりにはならないです。

例えば、川崎の浮島太陽光発電所が稼働し始めましたが、こいつは現時点で日本最大の太陽光発電所、いわゆるメガソーラーですが、出力は0.7万kWです。
その隣に扇島太陽光発電所というのを建設中で、こいつの出力が1.3万kWです。
合計しても2万kWにしかなりません。
つまり、メガソーラーは発電所2か所で2万kWの出力しかない訳です。

原子力発電所は原子炉1基で120万kWですよ。
しかも、日本は1つの原子力発電所に2~4基の原子炉を設置するので、1つの発電所で200~500万kWの発電能力があります。

それこそ、太陽光発電原子力発電では、発電能力が「二桁違い」な訳です。
賛成、反対以前の問題です。

この数字から常識的に考えれば、「原子力発電所の代わりに太陽光発電所を建設する」としたら、日本全土が太陽光パネルで埋まってしまいますよね。
それどころか、日本中を太陽光パネルで埋めたとしても、原発の代わりになんてなれないでしょう。

さてさて、「だから原発は必要だ」と安直に結論付けず、もう少し考えてみましょう。

何故、原発が必要なのでしょうか?

それは、我々消費者が「必要な電力を全量電力会社から供給してもらっている」ために、電力会社に莫大な発電能力が必要とされるためです。
つまり、消費者が電力会社に供給してもらう電力量を大幅に下げることができれば、原発なんてものは無くても事足りるということになります。

結論を先に言うと‥‥

各家庭にソーラーパネルを設置し、各家庭の電力は各家庭で賄い、足りない分だけを電力会社から購入する

‥‥という形にすれば良い訳です。
やるべきは、「太陽光発電所の建設」ではなく「全戸にソーラーパネルを設置する」ことなんじゃないでしょうか。

メガソーラーの話は単純に、原子力発電所の代わりに太陽光発電所を建てるというだけで、「電力は電力会社が独占的に供給する」という現状の産業構造にはまったく切り込んでいないんですよね。
そうである必要性はまったくないですよ。

何年か前に燃料電池がフォーカスされた時には
「将来は各家庭に燃料電池が設置され、家庭で必要とする電力は家庭で発電する時代が来る」
と言われたものですが、これを実現すれば良い訳です。
ただ、現時点ではそんな高効率低価格な燃料電池は存在しないので、上述の通り家庭の電力は家庭に設置した太陽光発電で賄い、足りない分だけを電力会社から購入するということにすれば、電力会社に要求される発電能力は大幅に下がります。

燃料電池は、それが普及すると会社が潰れてしまう電力会社の圧力で、開発も進まず、まったく普及もしませんでしたが、既に何年も前に発電の分散という考え方は出ている訳です。
電力会社の電力独占供給という体制には切り込まず、土地は自治体からの無償提供で、設備投資は全量買い取りで償却することで1円も負担しないといった「他人の褌で相撲を取る」ことをやろうとしているから、孫正義は政商だと言われるんですよ。

いまさら原発を推進したりはしないですが、メガソーラーなんてものも推進はしません。
必要なのはソーラーパネルの全戸設置による発電の分散化です。
再生可能エネルギー促進による脱原発などは論点のすり替えで、産業構造の変革こそが本当に必要なことなのではないでしょうか。
安直な二元論で話をするのは止めた方が良いですよ。