「話し合い」は相手の意見を論破することではない

こんばんは、ばたすけです。

私は自分のことを頭が悪いとは思っていませんが、頭が良い方だとも思っていません。
知識が無い訳ではないが、さりとて知識量豊富な訳でもありませんし、無思慮ではないものの、思慮深い訳でもありません。
まぁ、そういったところだと思います。

で、そういった中庸な私としては、「話し合い」というのは

「理屈や、理屈にならない感情面も含めて、お互いが納得できる落とし所を探す」

ことだと思っています。
話をしていく中で、相手の立場や考え方や感情面を理解し、それならとお互いに妥協点を探るとか、譲歩できる点や、これだけは譲れない点を主張するなど、そういった話しを通して、自分の考えを修正したり、相手に同意したりということをお互いにおこなって、満足いかないまでも双方が納得できる方策を探るものなんじゃないかと思います。
あ、正確には「相手の立場や考え方や感情面を理解する」というよりかは「相手を尊重する」と言った方が正しいように思います。

まぁ、私はそう思っているのですが、どうも「(自称)頭の良い人」というのは、

「相手の意見を論破した上で自分の意見の完全性を主張し、自分の意見を全面的に通す」

ことが話し合いだと思っているように感じられて仕方がないんですよね。
そこに「理屈にならない感情」は入っていないですし、お互いの立場を尊重するという気持ちもありません。
なので、例えその主張が理屈としては正しかったとしても、感情としては納得できませんので、無条件に反発してしまいます。
「とにかく気に入らない」
とまぁ、そういうことになります。

それに対して、「(自称)頭の良い人」は

「理屈で対抗できないから、感情的になっているだけで、相手にする必要は無い」

と、「勝った」とガキのようなことを言うのですが‥‥

そもそも、「話し合い」は「勝ち負け」じゃないですよ。
揉めないために、話し合いをしているのに、余計に揉めてどうするんですか。
それに、頭が良いのなら、「人間同士の問題から感情を切り離すことはできない」ということを理解していても良いと思うんですけどね。
それを含めてうまく立ち回るのが、本当に頭の良い人なんじゃないでしょうか。

「(自称)頭が良い人」ほど「話し合おう」と言っては相手の神経を逆撫でするのはなんとかならないのでしょうか。
そんなに殴り合いの喧嘩がしたいんですかね?
中庸な私から見ても、やっていることが「アホ」としか思えないんのですが。

あと、私の考えでは「話し合い」というのは「相手の立場や考え方や感情面を理解」した上で「妥協点を探す」ことなので、当然ながら「話し合いができない人」も存在します。
そりゃ、双方の物事の考え方や価値観が隔絶していれば、相手が何故そう考えるのかを理屈の上だけでも理解することは不可能ですし、そもそも言葉が通じない人(色々な意味で言っています)とは会話をすることさえ不可能ですよね。

「冷静に話し合おう」

というのはその通りですが、相手にとっての「話し合い」がどういうものなのかということと、また、話し合いができる人なのかどうかについてもよく考える必要があると思います。